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秋好陽介のwiki経歴・学歴(大学・高校)学生時代に起業して3000万を稼いでいたという記事を紹介します。
大手クラウドソーシングの会社ランサーズの社長・秋好陽介氏。
まだ40代で、ランサーズの起ち上げは12年前の事です。
2019年12月に上場し、さらに発展を遂げるランサーズ。
これからもなくてはならない会社となっていく事でしょう。
若き社長・秋好陽介氏を深掘りします。
Contents
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秋好陽介 wikiプロフィール・経歴
名前:秋好陽介(あきよしようすけ)
年齢:39歳(1981年生まれ)
出身:大阪府茨木市(育ちは高槻市)
父はNTT関連の工事を請け負う個人事業主で、母が経理をしていました。
高校生になったばかりの頃、母が確定申告をしているのが不思議で、そこから事業にも興味を持ち始めたそうです。
弟がいて、ランサーズ起ち上げの時に協力してもらい、今もそのまま一緒に働いています。
秋好陽介wiki 経歴
秋好陽介さんは小学校の頃、流行っていた「ビックリマンシール」で商売を思いつきます。
当時はビックリマンシールを集めることが大流行していて、シールだけ取ってお菓子を捨てる子供が多く、社会問題にもなっていました。
レアキャラと言われるキラキラしたシールの確率が低く、皆それが欲しいがために、大量に買い込むのでした。
秋好さんはそこに目をつけ、ダブったシールを友達から100円で買い、そのシールが欲しいという友達に300円で売っていたのです。
小学生でこの商売の仕組みに気付くとは、たくましい小学生ですね。
中学も地元の公立に通った秋好さんは真面目に勉強して、地元の高校に進学します。
この高校は制服がなく私服だったこともあり、秋好さんはファッションに目覚めたそうです。
高校時代はファッションの事しか頭になく、自分で服を作って売ったりしていました。
高校卒業の時も何も考えずに、大学には行かず服で生きて行こうと決めていたそうです。
しかし、成人式の時に周りのみんなが大学生になっているのに疎外感を感じます。
そして20歳を過ぎてから実家近くの大学に願書を出したのです。
その後無事に大学を卒業し、ニフティ株式会社に入社しました。
しかし起業家の血が騒いだのでしょうか。
ニフティを退社し、2008年に「ランサーズ」を起ち上げます。
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秋好陽介の学歴(高校・大学)
秋好陽介さんは、小学校から高校までを地元の公立高校に通ったと言っています。
生まれは大阪市茨木市ですが、育ったのは高槻市です。
高槻市にある小学校は4校
高槻小学校 高槻市本町3-69
芥川小学校 高槻市真上町1丁目2-3
磐手小学校 高槻市安満西の町27-1
清水小学校 高槻市宮之川原4丁目20-1
このどれかでしょうか。
では高槻市にある中学校は
高槻市立阿武野中学校 大阪府高槻市氷室町5丁目7-1
高槻市立阿武山中学校 大阪府高槻市奈佐原1丁目2-1
高槻市立川西中学校 大阪府高槻市川西町2丁目33-1
高槻市立冠中学校 大阪府高槻市大冠町2丁目24-1
高槻市立五領中学校 大阪府高槻市道鵜町3丁目20-1
高槻市立芝谷中学校 大阪府高槻市芝谷町3-1
中学校の方が多いのですね。不思議です。
秋好陽介高校・大学は
そして公立高校、偏差値と制服・私服を調べると
芥川高等学校 大阪府高槻市/偏差値50 制服
阿武野高等学校 大阪府高槻市/偏差値43 制服
大冠高等学校 大阪府高槻市/偏差値45 制服
高槻北高等学校 大阪府高槻市/偏差値54 制服
三島高等学校 大阪府高槻市/偏差値62 私服
後にランサーズを起ち上げるほどの秀才の秋好陽介氏。
中学は真面目に勉強していたという話。
そして高校は私服だったことから、三島高等学校ではないかと予想します。
三島高等学校を紹介します。
三島高等学校
三島高校
偏差値62
卒業生:伊藤裕樹(アナウンサー)
木曽一(ラグビー選手)
住所:大阪府 高槻市 今城町27-1
秋好陽介氏がここの高校を卒業したという情報はありません。
そして、秋好さんは実家の近くの大学に願書を出したと言っています。
大阪府高槻市にある大学は、
大阪医科大学
大阪薬科大学
平安女学院大学
関西大学
これはやはり関西大学でしょうかね。
関西大学
偏差値:57-60
卒業生:宮根誠司 (ニュースキャスター)
高橋大輔 (スケート選手)
山里亮太 (芸人)
住所:大阪府 吹田市山手町3-3-35
秋好陽介氏がここの大学を卒業したという情報はありません。
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秋好陽介 大学時代に起業し、3000万稼いでいた
高校生まではファッションにハマっていた秋好さんですが、
大学に入ってからインターネットに興味を持ち始めました。
ノートパソコンをローンで買ったことから起業のスタートでした。
当時の秋好さんは右も左もわからない状態でパソコンを勉強し、1日18時間もパソコンと向き合っていたそうです。
そして、プログラミングを覚え、ホームページを作れるようになります。
そのうちホームページ制作などの仕事が来るようになり、ポータルサイトの運営をするようになっていきます。
旅行や航空券の予約サイトを作って、検索順位で1位を取るなどシェアが拡がっていきました。
一番いい時で、報酬は年間2000万~3000万位あったそうです。
この時の経験がランサーズ起ち上げにも役立ったのでしょう。
ランサーズは2019年12月に上場しました。
その式典で秋好氏は「上場なんて想像もしていませんでした」と語っています。
インターネットで仕事が取引できる超ワクワクする世界ができるんじゃないか、それを実現したいという純粋な気持ちしかありませんでした。
そのような純粋な気持ちだったから成功したのではないでしょうか。
これからもランサーズは発展し続けることでしょう。
以上、秋好陽介のwikiプロフ・経歴・学歴(大学・高校)学生時代に起業して3000万の記事でした。
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